時折耳にしますし僕自身もよく使う言葉に「コスパ」というのものがあります。
つまりコストパフォーマンス。
簡単に言えば、どれくらいのコスト(お金、時間、労力など)をかければ、どれだけのパフォーマンス(売上、結果など)が得られるか、ということですね。
重要な考え方ではあるとは思っていて、1000円払うならば1000円に見合うだけのものが得体と思うものですから、500円の価値あるものがバック隣れば損をしたと思いますし、10000円の結果が得られれば得をしたと思います。
なのでできるだけ低コストで高パフォーマンスを得体、と思うのが基本だと思います。
が、時々この概念に踊らされているなと感じることを聞いたりします。
それについて書いてみます。
簡単にいうと、コスパは手段を選ぶ際の考え方ではあっても、目的を考える時に使われるのはおかしいよな、ということです。
手段はコスパで選びたい
例えばある建物に行きたいと思った時に、バスを使うとします。
その時、バスAを使うかバスBを使うかを考えるとして、バスAの方が値段が安いとします。
もしバスの快適さもつく時間帯も同じならば、値段が安い方法を選びたいと思うのが普通です。
もちろん、バスの乗り場が近いから、知り合いが乗っているから、割引券を持っているから、などなどの理由でバスBを選ぶ人も要るでしょう。
そういうのは「その人なりの事情」により価値は変動しますが、トータルで見てその人の立場としてはよりコスパが高い方にいく、というのが当たり前でしょう。
目的がコスパで選ばれる?
しかし時折「ん?」と頭をひねることでコスパという言葉が聞こえることがあります。
例えば「ファミレスでドリンクバーを頼まない」という人がいたとして、それが本人の好き嫌いだったり水で十分だと思っている空など、本人の事情で頼みたくないというのならばそれは普通だと思います。
しかし「ドリンクバーは原価が安いから、客からするとコスパが悪い。だから俺は頼まない」とか「元をとるために沢山呑みすぎて気持ち悪くなった」とか言われると「ん?」と思います。
なんでしょう、常に得をしたいと思っているのでしょうか、コスパが悪いことにお金を使うことが許せないのでしょうか。
ドリンクバーで飲みたいものがあるのに「コスパが悪いから」頼まないとか、別にそこまで飲みたくもないのに「損したくないから」と沢山飲んでみたり。
それって「コスパ」という言葉に踊らされているだけな気がします。
で、結果として飲みたいものが飲めなかったり気持ち悪くなったりするというのは、ファミレスにきて「コスパで損をしないこと」を目的としてしまい、「飲みたいものを飲みたい量だけ飲む」という目的が蔑ろにされていると言えます。
手段と目的
上でいったのはつまり、複数ある手段からどれを選ぶのか迷ったときにコスパを考えるのは当然だと思います。
が、コスパを意識しすぎるあまり行動の目的まで決めてしまう、というのが本末顛倒だなと思う訳で。
まあ上記はファミレスのドリンクバーの話だけですが、これには賛同できなくとも他にもコスパをという言葉は聞こえてきますし、「どちらが好きですか?」という質問に「こっちの方がコスパが良い」というズレた回答を返している場合があります。
「コスパが良い=絶対に選ばなければならない」みたいな思い込みでしょうか、呪いにでもかかっているのかな、という感じる場合がありまして。
コスパが良いのを求めるのは当たり前ですが、コスパがよくないと絶対にだめと思い込んで、自分が成したかったことを為せず為したくなかったことを成してしまう、みたいな状況には陥りたくないですね。