Kの所感

管理人ケンヤの色々なことに関する所感を綴っていくブログです

SNSに綺麗な文章はあるか

少し前に村上春樹氏がSNSについて語っている記事について色々な意見があってまとめられているのを見かけました。

ちょっとこれについて思ったことを書こうと思います。

まずどういうまとめか?

簡単にそもそもの発端について書くと、村上春樹氏があるインタビューでSNSを見ない理由について、「文章が上等ではない、良い文章を読み良い音楽を聞くことは人生にとって大切だから、上等ではない文章は読まないようにしている」というようなことを答えていました。(出典はユニクロLifeWear magazine 『村上春樹に26の質問』だそうです。上のリンクから辿れます)

 

で、この意見に対して「SNSの食わず嫌いだ」とか「概ね賛成」とか「村上春樹にとってはそうなんでしょう」とか「大体、上等な文章て何だ?」とか、まあ、色々な意見が書いてありました。

 

まとめとしては色々な意見の紹介であり、村上春樹氏の意見に反対している人もいましたが、どちらかというとその言っている内容を発端として言葉が交わされている感じでした。

概ね村上春樹氏のいっている事に賛成だが

で、これについて思ったことを言うと「SNSにも上等な文章は、あるところにはあるのだろうけれど、それを探す間に汚い文章を沢山みる可能性が沢山あるのだから、上等な文章を求めるのであればSNSは切ってしまうのも一つの手だよな」と思いました。

 

私の場合、最近ようやくこのブログを書き始めて一ヶ月というところで、ほぼ毎日更新し続けられていて良かったなと思っているところなのですが、このブログを書いている理由の一つがOUTPUTとしての文章を書くこと、そのことによる文章力のアップ、があったりします。

 

とは言えここまで書いた内容を読んでいただければわかると思いますが、そもそもそんなに「上等な文章」とはとても言えず、精進あるのみとしか言えない状況であります。

まあかといって、上等な文章を目指しそれに時間を使って更新の頻度が下がる方がよほど問題だと思っているので、今は質より量の精神ですが。

 

で、じゃあどうやって文章力を上げるのかを考えると、それは「上等な文章」を読むしかないなと思っています。

もちろん、「上手な文章の書き方」みたいな本を読むのも一つのステップではあるのでしょうが、それを踏まえても「上等な文章」のインプットは不可欠です。

「朱に交われば赤くなる」なんて諺がありますが、結局人間は自分にインプットされたものしかアプトプットできません。

もちろん、多少の変化はあるしどう変化を持たせてアウトプットをするかが個性と呼ばれるものになったりしますが、それもインプットあってこそだと言えます。

 

そこからすると、自分で上等な文章を書きたいと思ったら上等な文章をインプットするべきだ、というのは当然の理屈ですよね。

ですから小説家である村上春樹氏は当然自らも上等な文章を紡ぎたいと思っていらっしゃるでしょうから、当然上等な文章ばかりをみたいと欲してもなんの不思議もないと思っています。

 

なので私自身も上等な文章を書きたいと思ったら、SNSとかなろう小説を読んだ方が早いのだろうな、とは思っています。

色々あって切れませんが。

SNS上の綺麗な文章?

さて上の文章はSNSにあたかも上等な文章がないかの如く書いてしまいましたが、「じゃあ、あるのか?」と自問するととても胸をはって「あります」とは言えないなと思っています。

もしかしたら探せばあるのかもしれません。しかしそれはもはや「例外」と切って捨てても問題ないレベルであり、その例外を持ってして「SNSは上等な文章がある場所です」と言い切るのは問題な気がします。

あえて例えれば砂漠にオアシスがあるのを持って敷いて「砂漠にも水は豊富にある」という主張をするようなもので、そりゃある場所を探してきてそこに限定してしまえば切り取れるかもしれませんが、全体から見れば例外と切って捨てられるレベルだな、と。

 

なので基本的には「SNS上には綺麗な文章はない」と言われてしまっても仕方がないと思っています。

金鉱脈の如きそれを探すために色々と掘り進めなければならない努力をするくらいだったら、最初からあるとわかっている場所に行く方が正解ですよね、普通に考えて。

 

なので「いやいや、SNSでの文章力も捨てたものではないよ」と言う人がいれば、それはなにかズレていて誤解があるのではないか、と思います。

そもそも綺麗な文章て?

ここまで書いておいて何ですが、村上春樹氏の言う「上等な文章」て何でしょうね。

何となくわかりますが、明確に言葉で定義しろと言われると難しいなと思ってしまいます。

文法的にあっている、と言うのは当然あるでしょうが、じゃあ文法が合っていれば上等な文章かというとそうとは言えないでしょう。

 

また村上春樹氏の言う「上等な文章」を読んだとしても、私がそれを100%受け入れられるかといったらそれもないと思います。

結局「自分が上等だと思う文章」を探し、それを読み込んで、目指す、と言うことしかできないのかなと。

だからSNSではなく、ある程度編集者により校閲された書籍とかの方が、綺麗な文章を目指すのだとしたら読むべきなのでしょうね。

まあ「読書は大丈夫」と言う当たり前の結論でした。