先日Youtubeで元2チャンネル管理人のひろゆきさんと、その友人(?)のヒゲおやじさん(?)が「善悪」について話している動画がありました。
ちょっと面白いと思ったので、それについて書いてみようと思います。
ちなみに僕が見たのは多分誰かが勝手にひろゆきさんの生放送を切り取ったものだと思います。
その切り取りについてはひろゆきさんが許容しているという話を聞いたこともありますが、本当にそうなのかとか、そもそもひげおやじさんて誰なんだととか、そういうのを調べるのも面倒だったので、そこは割愛しました。
ので、そこへのリンクは貼らないでおきます。多分ググれば出てきますし。
動画で語られていたひろゆき的善悪
動画は恐らくリスナーからの質問に二人が答えるという形式のものであり、善悪とは何かというのに答えるというのがその切り取り動画でのテーマになっていました。
まずひろゆきさんに水を向けられたひげおやじさんが「他人に迷惑をかけること」と答えると、ひろゆきさんは「他人に迷惑をかけずに生きてる人間なんていないので、それは浅はか」と切って捨てます。
ではひろゆきさんの考えは何なのかというと、「そんなものはない」と。
ひろゆきさん曰く善悪なんて、違う国で法律が違えば変わるし、戦争時と平時でも違う。場所、時代、状況によってコロコロ変わる。だからその時の状況に応じての善悪はあるだろうけれども、状況によって変わってしまう以上、善悪なんてないのだ、と。
大体こんな趣旨のことを言っていました。
どうやらひろゆきさんは、ちょっと宗教的な言い方になってしまうかもしれませんが「尊い教え」とか「良心」とか「悪徳」とかそういった概念的なものに興味がないのか、そこら辺については「状況」に含まれるものと判断したのかそもそもまともには扱いませんでした。
多分リスナーが聴きたかったこととは違うのだろうなと思い、では自分ならどう答えるのかなと考えてみました。
一言で言えば「悪事とわかっていることを進んでする人は悪」かなと
考えたのですが、「悪事とわかっていることを進んでする人は悪」かなと思いました。
まあ悪という言葉の定義の中に悪という言葉を含んでしまっているのであまり宜しくはないのですが、まあ上記定義でいう悪とは「善悪の悪」もしくは「悪人」を指すものであり、「悪事」とはひろゆきさんが仰った「状況によって変わる悪」だと思ってください。
(ちょっと言葉遊び的ですが、他の言葉を探すよりも、とりあえず違う言葉だと認識しておいていただいて、次に行きます)
つまり例えば殺人について話をすると、少なくとも現代日本、に限らず大体の国において「殺人は悪事」とされています。
ですがそれを成す場合に「事故で殺してしまった」とか「虐待をされていて正当防衛で」みたいな場合は、上記でいう私定義では悪から外れます。
では私がいう悪人とは何かというと、殺人は悪いと知っていても「だから何?」と平然としながら行ってしまえる人のことです。
この二つは法律的にどう解釈されるかは別として、本人の心持ちに大きな差分があるのがわかりますでしょうか。
この差分こそが「善悪」の「悪」の差分だと思います。(当たり前ですが、前者だったとしても善ではないですが、悪ではないという意味です。絶対にどちらかであるべきという二元論はコンピュータ相手にしかできません)
もちろん殺人は極端な例ですが、他に似た例をあげれば「痴呆症で判断力が低下しているとわかっている老人に高額な布団をローンで買わせる」とか「拉致監禁する」とかが当てはまる、と言えば伝わるでしょうか?
これらも悪事であると理解した上で悪を成している、に当てはまるかと思います。
何かしら理由があってこれらをやったとかはあるのかもしれませんが、そんな本人の心の中でしかわからないことはこの際無視します。
ひろゆきさんでも善悪は法律によって判断できる部分があるのは認めているのだし、そこの客観性で「悪事」や「悪事の自覚」は判断します。
で、戦争について言えば平時は殺人は悪事ですが、戦争時は悪事ではない、とされるでしょう。
平時の価値観で「戦争であっても殺人は悪だ」というのは簡単ですが、浅薄であり、そもそも状況を無視して価値観をぶっ込んでくるのはナンセンスですからね。
「戦争で100人殺せば英雄だが、、、」みたいなセリフがありましたが、そこらへんの価値観の話はひろゆきさんの話と同じです。
なので戦争時は例え殺人を犯しても「悪事を進んで行う」とは言えないため、悪とは呼べない、となると思います。
結局は本人の自覚の問題であり、それこそが良心であるという話になってくるわけです。
うまくは言えてないですね
思うままに書いてみましたが、うまく言葉に落とし切れませんでした。
例え話を書いているので伝わるは伝わって欲しいなぁとは思いますが、他人に主張するにはもうちょっと洗練が必要ですね。。。