Kの所感

管理人ケンヤの色々なことに関する所感を綴っていくブログです

寿司の一貫の自分定義

兎は羽、犬は頭、人は人、では寿司は?

まあ「貫」ですね。

そこにはまあ異論がある人はないと思うのですが、「では一貫はいくつ?」という問いを投げかけると意見が分かれたりします。

 

なので、「自分はこう思います」というお話です。

寿司の一貫とは、二個のこと

意見が分かれると書きましたがどう分かれるのかというと、「寿司一貫=一つ」派と、「寿司一貫=二つ」派です。

そして私は前者、「寿司一貫=一つ」派です。

 

とまあ派閥っぽく書きましたが、どっちの定義が正しいかという話、いや、「元々は正しかった」という話です。

 

寿司を貫と数える理由については、WIkiとかググってわかることは、どうやら重さの貫が関係しているらしいとか、いやでも重さそんなにないよねとか色々話が出てきます。

で、個人的には色々ある意見の中で、「元々一つ一貫だったが、それだと大きくて食べにくいので二つに切って出した。よって二個で一貫が正しい」という意見が一番正しい気がするなと思っています。

数え方と関係しているかは知りませんが、昔は今よりも握りのサイズが大きかったというのは聞いたことがありますし、そうでなけりゃ二個を一皿に載せるのが普通なのが不自然になってしまうからとかが理由ですかね。

一つのことを半貫という、という話も聞いたことがありますし。が、これは実はあまり友人に話しても聞いたことがないと言われるやつですが。。。

まあ子供の頃にそう聞いた気がするから、それに合う意見をピックアップしているのかもしれませんが。

とは言っても

とは言っても今の大勢、そしてこれからは「寿司一貫=一つ」派が主流となり、そしてどんどんと増えていくだろうなとは思っています。

なんと言っても直感的にわかり安いですからね。

靴は二つつまり左右セットで一足と数えますが、これは左右がちゃんと違うからわかりやすい。しかし今のお寿司って同じものが二個出てきますからね。そのまま数えてしまう方がわかりやすいでしょう。

 

でも「一貫いくらという張り紙を信じて食べたら、一貫=二個という認識だったのに、違ったから二倍払わされた!」みたいな話もいくつか聞いたことがあります。

まあ現在は理解が混在しているでしょうが、わかりやすさから生き残るのはどちらかというのは決まっている気がします。

今は過渡期だと思う

というわけで「元々は一貫=二個だったが、わかりやすさ優先となり、一貫=一つになっている過渡期に今はある」というのが現在の認識です。

 

そして言えるのはそんな状況なので「一貫=一つが当然じゃん」と思うのまではともかく、「一貫=二つだなんてあり得るわけねーじゃん。馬鹿じゃねーの?」と思うのは間違いだと思う、ということですね。

 

別に一貫が幾つだろうと、それはトラブルを避ける為に店と客が誤解ないようにすれば良いですが、少なくともこの2派閥があるのは現実なのに、その現実を無視して片方の存在を笑い飛ばすのは、無知を曝け出し了見が狭い人間であると高原しているようなものではないか、と。

まあ人は馬鹿にしちゃいけないよね、と。

ひっそりと

まあそんな認識なので、個人的な意見は自分の理解としつつ、少なくとも新しい店とかでは一貫=一つと数えないとならないなという思っている感じです。

そのうち二つを一貫と数えることがあったのだということが、どこかの本にしか残らない見たいな話になるのかもしれないと思うと、ちょっと寂しい気がしますが。。。