「人狼ゲーム」というのを初めて知ったのは、それこそ十年以上前のことだと思います。
そもそもそういったゲームに詳しい訳ではなかったので、その頃にどれほどのブームだったのかは分かりませんが、少なくとも現在の方が一般化しているのは間違いないのではないでしょうか。
それを主にやっているのか「人狼アイドル」と名乗る方たちもいるようですし、ずっと人狼ゲームの配信をしているYoutubeチャンネルもあるようですし。
私は過去に一度だけやったことがある程度であり、その後は何度かYoutubeチャンネルで人狼ゲームを遊んでいるのを観たことがある程度なのですが、いくら観ていてもどうやら「not for me」だなという思いは強くなっていくばかりです。
で、最近Vtuberを見るようになってAmong Usというゲームがあるのを観たのですが、これは俗称で宇宙人狼と呼ばれているものらしく、これは非常に面白そうに思いました。
それについて語る前に、まず人狼ゲームについて思っていた事を書いてみようというのが本日のお題となります。
そもそも人狼ゲームとは?
まずプレイ人数ですが、恐らく最低で八人くらいは必要になります。
プレイヤーは最初に村人か人狼かの役職を秘密裏に割り当てられます。誰が村人で誰が人狼かは本人と、ゲームマスターの一人にしかわかりません。
村人には「占い師」や「霊媒師」といった特殊な役割をもった者もおり、それらが役割に応じた情報を手に入れる事になります。
村人の勝利条件は、そういった情報や他のプレイヤーの言動を元に誰が人狼かを推測し、1日に一回一人を死刑とする機会に見事人狼をあてて、人狼を駆逐する事です。
人狼は、毎晩一人の村人を殺していき、人狼と比較して村人の数が同数ないしは少なくなれば勝利となります。
人数による役割の数の変化とか、ルーチンとしてやることとか色々他にもありますが、とりあえず重要なのは「1日一回一人を吊るす」「人狼は1日一回一人を殺せる」、そして特殊情報や言動を元にして「話す」ということが重要になるゲームということです。
恐らくこのゲームを面白いと思っている人達が面白いと感じている点は、その「手にしている情報を元に話す」ことで進んでいくゲーム性だと思います。
「絶対に正しい」という情報は、自分が人狼もしくは村人であるということだけです。
それ以外が手にする情報を信じて良いかは、「本当にその人が言うことは信じられるのか?」にかかっています。
例えば特殊な役割をもった人は、その役割故に手に入れることができた情報を口にするわけですが、そもそも人狼は自分もその役職だと名乗り出る嘘をつくことができます。
なので本当はゲームに一人しかいない役職が二人以上現れるということもあり、「二人が同じ役職を言い出したということは、片方は人狼側だ」とか「誰々の言い分はここがおかしい」といったか細い情報の取捨選択を自分なりに行い、それでいて自分が吊られないように自己弁護をしつつ、チームの勝利に邁進していく、というゲームです。
苦手な理由:死んだプレイヤーが去ること
プレイヤーの話あいの結果、もしくは人狼に殺された人は、ゲームから去る事になり、そのごはゲームに干渉できなくなります。
他の人がゲームを楽しんでいるのをポツンと眺めるしかできなくなります。
私が体験したゲームもそうでしたし、Youtubeとかで見るゲームでもそうでした。特に最初のターンで殺される人は、ほとんど何もゲームに参加できないまま終わっていました。
こんな不公平なゲームがあって良いのか、というのがまず最初に抱いた疑問でした。
自分が何らかのミスをしてその結果殺される、というのならばまだわかります。しかしゲーム時間における1日=1ターンに一人は必ず会議の末に殺されるので、何もしていなくとも殺されます。その結果その殺された事が残った人にとっては有益な情報になることはあるのですが、殺された人には何のメリットもありません。
故に私心を捨てて「チームの勝利」に貢献することが求められるのですが、「ゲームを楽しみたい」と思っている人がゲームから除外されて楽しめるのか、という根本的な問題があります。
Youtubeチャンネルだと、殺されて去った人は別室に移動してゲームをディスプレイとかで観ながら死んだ人同士で話すなんてことをしていますが、それは観客になれるというだけの話であり、ゲームから追放されている事に代わりはないので、ゲームとしての面白さからは背を向けられている事に変わりはありません。
他のゲームであれば、例えば一人に圧倒的な差をつけられたとしても、残った人は2位を狙ったり他の何かを狙ったりといったことはできます。勝てるかどうかは別として、ゲームに参加はできるのです。
その権利が全て奪われてしまうのですから、人狼ゲームは欠陥がある思ってしまいます。
少なくとも自分は、最初のターンに何もできずに吊られるのを10回連続でくらう事があれば、2度とゲームを遊ばなくなると思いますし、それを回避する手段がないというのも問題だと思っています。
勿論、「さっきのゲームは俺だったから違う人に」というようなメタ発言が許されるのならばそれもできるのかもしれませんが、そういった他ゲームのあれこれを持ち込む事が許されるならば、「さっきあの人は活躍したから」とか「あの人はさっきのゲームでの言動が読みづらかったので」のような、今回のゲーム内容とは無関係なことで吊られる事も許容してしまうことになります。
まあ、そこらへんの折り合いも話し合いで、ということになるかもしれませんが、どうにも欠陥だよなという思いはぬぐいされません。
それともローカルルールでそこらへんをどうにかすることが求められているゲームなんですかね?あまり聞いたことはないですが。
情報がか細い
あと見ていて思ったのは、話あいに使うべき情報がか細いな、ということでした。
立脚すべき情報が「嘘かもしれない」という疑念を常に孕んでいる上に、「さっきあの人はこう言った」「さっきの言い分と矛盾している」みたいな半ば言いがかりのような話あいが飛び交っていました。
正直なところ本当に足元がグラグラするレベルの根拠であり、さらに言えば「さっきこう言ってた」みたいなのを記憶していなければ難しいというならば、その時点で大多数の人が振り落とされるのではないかなと思いました。僕も無理ですね。
仮にあるひとがいう推理がものすごくハマっていたとしても、それが素晴らしいのかどうかを判断することすらできないのですから、すごいと感じることしかできない訳で。
こうしたフワフワな議論て面白いのかな?という疑問を持ってしまう時点で「not for me」なんだなと感じています。
クイズノックで「元素人狼」なる動画がありましたが、これは情報として別途「元素」という情報を付加させていましたが、これでこそ見ていて面白いゲームになっているなと思いました。
「不完全なゲーム」というのはTRPGもそうですが
というわけで、私が人狼げーむについて「これは不完全なゲームでは?」と思っている事を書いてみました。
まああまりやったことのない人間なのでもっとやってみれば擁護意見も浮かんでくるのかもしれませんが、今のところあまり面白いと思う動画は上記のクイズノックの動画以外はなかったので、厳しいのではないかなぁとか思っています。
まあ不完全なゲームという存在の全てが悪い訳ではないと私は思っており、例えばTRPGなんkはそれのみでは遊び得ない不完全なゲームであり、その不完全さをゲームマスターを立てて埋めてもらうことでゲームとして成り立たせているものと言えると考えます。
人狼ゲームでもゲームマスター的ポジションはいますが、ほとんど司会でしかなく、それ以上に自分の意思でゲームに干渉することは許されていません。
そして、上記の元素人狼のような要素を加えていない、つまり私がいうところの不完全な不公平な不公正なゲームのままなのに、人狼ゲームが各所で遊ばれているという現実があります。
なので結局は私の感性にあわないゲームなのかな、という結論になっていまい、しかし楽しめないのも悔しいなぁ誤解だったらいいなぁと思っていたりするのでした。