小説家になろうというサイトを見ていて、玉石混交、というにはやや質の良く無いものの方が圧倒的に多いきらいはありますが、それでも勿論気に入った作品は幾つもあります。
以前ブログにも書いた「異世界料理道」なんかもそうですが、今回は私が一番の推しとしている作品について書こうと思います。
つまり記事タイトルにも書いた「本好きの下剋上」についてです。
https://ncode.syosetu.com/n4830bu/
「本好き」が異世界に転生し、本が少ない世界で本を読む為に突っ走る話
現代日本でも本が好きで就職先も本に関わるために司書の資格をとった主人公が、しかし地震によって崩れた自分の蔵書に潰されて死んでしまい、異世界転生するところから話が始まります。
転生したのは、識字率が低くて本が少ない世界の、兵士の娘。
読みたくても本がないし、その上身体は少し動けばすぐに熱が出てしまうようなひ弱な身体。しかしそんな逆境をも「本が好き」「本が読みたい」という熱情に突き動かされて主人公は行動していきます。
本を読む前にまずは紙を、物語を、そして印刷を。それらの希望を叶える為には、お金も権力も必要となります。
主人公はハンデを抱えながらも、「本が好き」という熱情のままに困難を突破していく、という物語です。
「本が好き」というモチベーションが第一のインパクト
一言で言えば小説家になろうではよくある転生ものですが、戦闘スキルやらハーレムやらといった、他作品で良く見られるものを主人公が手にすることはありません。
その代わり「本」という唯一絶対なるモチベーションに突き動かされていきます。
ここが私にはまず新鮮で面白いものでした。
というのも、読み始めた当時、小説家になろうにあった他小説では主人公には特にモチベーションはなく、ほぼ全てのイベントが半ば受動的というか半強制的におこるものが多かったのです。
トラックに轢かれるなど本人の意思とは関係なしに転生し、求めるものは平穏だったりスローライフだったりするパターンがほとんどでした。それでいて主人公達は強力な戦闘スキルを持っており、降りかかる火の粉を払っている内に気づけば権力者達とお近づきになり、その過程で沢山のヒロイン達と出会ってハーレムを作っていく。
大体はこのような流れの話が多かったのですが、個人的にそうしたストーリーの流れは別に構わないのですが、主人公にモチベーションが無いのが一番気になっていました。
「戦闘スキルを手にれた」だから「戦闘スキルで成り上がって天下をとるぜ」というのならばわかりやすいです。極論、ハーレムを直接的に目指しても何の問題もありません。
しかし読んだ範囲では大半の作品では、主人公は自らの欲求に従ってスキルを振るうことはなく、降りかかる火の粉をはらうか、他人に頼まれるかをした場合にのみその圧倒的な力を奮っていました。本人が進んで行うことは趣味的な事かスローライフ関連ばかりでした。
そこを行くと、本作の主人公は強烈なまでに「本が好き」というモチベーションを持っており、それに従って行動していました。
この猛烈なモチベーションこそが、自分が求めていたものなのかもと思ったりしました。
重ねて言えば、私自身も本が好きで主人公にその意味でも共感してしまう部分がありました。
もっともだからといって私には「紙から作ろう」という行動力まではなく、だからこそ主人公がハンデを抱えながらも果敢に挑んでいく姿が、実に興味深く映った訳です。
圧倒的な世界観が第二のインパクト
本作の世界観は、雑に言えば「ナーロッパ」ですが、確かに魔法があると言う意味ではそうなのですが、よっぽど現実の中世ヨーロッパに近いと思わせます。
主人公はひ弱という事もあり、最初の行動範囲は家の中だけ、もしくは近所に買い物に津kれてってくれるだけ、というところから始まります。そこから少しずつ森、兵舎、店などどんどんと行動範囲は広がっていくのですが、異世界の不思議な植物まで含めて、例えば“不潔さ”や“雑さ”も含めて描写されており、設定がしっかりとしていることが伺えるのです。
世界観について言えば文化についてもそうで、例えばこの作品における教会のありかた、貴族のありかた、王族のありかた、そして神のありかたというものもしっかりと練り込まれ、生活に密着している様がわかるのです。
言って仕舞えば「設定がしっかりしている」という事ですが、それがよく練り込まれているからこそ、キャラクターが生きているのだとわからせてくれます。
世界に立脚し「生きている」キャラクターが第三のインパクト
世界観についてもう少し言葉を足すと、文化があり、社会があるということがしっかりと描写されています。
故に、キャラクター達はその文化や社会といった背景に、当然縛られています。
主人公についてはモチベーションについてのみ書きましたが、身体的な問題の他に、「兵士の娘」という立場としても制限や限界があります。
そしてそれは勿論主人公以外の友人や仲間もそうで、それぞれの立場がありそれによっては時には主人公よりもできることが多かったりするのですが、それでもしっかりとした世界観に立脚している以上、職人としての限界、商人としての限界、神官としての限界、貴族としての限界、そして王族としての限界といったものに縛られます。
しかしその制限に縛られながらも、目的を達成するために登場人物達は努力しあがきます。
そうした文化、社会に立脚して、それぞれが各々の考え方をしっかりともっているため「生きている」と感じさせてくれます。
キャラクター中心でありすぎるなと私が感じてしまう作品が多い中、この作品ほど私にキャラクターの描写の立ち位置について好みにあったものは他にありませんでした。
世界観、キャラクター、ストーリーから思いついた「日本のハリーポッター」
ちなみにタイトルに「日本のハリーポッター」と書きましたが、これはストーリーが進むにつれて出てくる学園を見て思ったことです。
主人公は最初はただの街の兵士の娘なのですが、話が進む内に色々と立場が変わって、貴族しか通えない学園に通う事になります。
そこでは魔法の授業があったり、クィディッチじゃないですがディッターという魔法を使った競技があったりで、そこら辺も世界観がしっかりしているものですから、「これはハリーポッターとタメを張れるんじゃ?」と思ったのです。
と言いつつも私は実はハリーポッターシリーズは映画を全部観た訳ではないという体たらくなので、あまり説得力はないかもです。
しかし世界観やキャラクターの描写については、決して引けを取らないのではないか、とはそれでも思っていたりします。
最後に
書いたことを振り返ると、「世界観がしっかりしているから、キャラクターも生きていて、その上で動くストーリーというのが私の好みにあった」と書いてきた事になりますね。ちょっと抽象的すぎて伝わらないかもしれないというのが、文章力の限界を感じて危惧するところですね。
ただちなみに、本作は元はなろう小説ですが、漫画もアニメもありますので、ぜひ興味のある方には見ていただいて私の「日本のハリーポッター」というのが大言壮語なのか「言わんとしていることはわかる」なのかを確認していただけたらな、と思います。