僕は好きな食べ物はなんですかと問われれば、迷いもなく「寿司です」と答える人間なんですが、じゃあ朝昼晩全部寿司がいいのかというとそうでもない。
いやまぁ、朝は寝起きがどうのとか違う事情が入ってきそうなので別としますが、要するにちゃんと「仕事」をした寿司は美味しいよね、ということです。
HUNTER×HUNTERで寿司を「魚の切り身を酢飯にのせるだけ」といわれて試験官がキレた、というエピソードがありましたが、まあ最底辺をいえばそうなりまして、ピンからキリまであるというのがまた当然です。
とはいえそんな最底辺の話をしても仕方がないし、じゃあなんなんだと迂遠な話をしていてもまどろっこしいのでいってしまうと、この間「スシロー」に初めて行って見て驚いた、という話をしたかったわけですから。
簡単にいうと、本当に手軽に食べられてそのシステムには感動したのですが、「これは僕が好きな寿司とは別ものなのだな」と感じたという話です。
寿司のイメージ
僕の中での寿司のイメージというと、カウンターで注文して都度握ってもらう、というのがオーソドックスなものになります。
実際回転寿司なんかも行ったことは当然ありますが、なんというか最近では店の方でも回転寿司は飾りだと言わんばかりに、ほとんど回さずに注文に答えてばかりいる店もあったりします。
なので別にカウンターの寿司屋じゃなく回転寿司を含めても、上述したイメージはあんまり崩れてなかったです。
衝撃を受けたスシロー
ではスシローの何にそんなに衝撃を受けたかといえば、やはりシステムに尽きますね。
「カウンターで大将と話す」なんてことが起きようもない環境で、客はタッチパネルにのみ注文し、そしてもはや回転寿司レーンというよりも直接お届けレーンとなった道の上を、寿司を載せた電車がやってくるわけで。
お茶やなんかも完全にシステム化されており、ここまでくると感動さえしてしまいました。
、、、とはいえ、味に感動したかといえばそうではないですね。
もちろん寿司ではあるのですが、システム化が寿司そのものにも及んだとしか言いようがない代物でした。
誤解を恐れずに表現するならば、僕がラーメン屋さんのラーメンを好んでいるところに、カップラーメンが出てきたというか。
まあちょっと言い過ぎかもしれませんが、効率化を突き詰めたような寿司に、逆に清々しい示唆と感動さえ覚えてしまいました。
「ちょっと小腹が減ったから」といってチャチャっと食べるにおいては申し分もなく、こういう形態もあるんだなぁという衝撃を受けたわけです。
でも気になるのは混んでいるところ
値段の安さとかも結構見あっているというか、コスパが良いという印象を与えるのに十分に役立っている類だと思います。
でも何が気になるって、混んでいるところですね。
なんというか「美味しいものを食べるために並ぶ」というのはとても良くわかるのですが、先程の例えでいうと「カップラーメンを食べるために行列を作る」みたいな違和感があるというか。
他にも色々美味しいものがあるだろうに、なぜにカップラーメンのためにこんなに並んでいるのだろう、みたいな気分にさせられるというか。
カップラーメンは好きですし、コスパ考えればそれよりもスシローの方に軍配が上がるでしょう。
でも手軽感みたいなものが売りな気がするのに、それが混んでいることで提供できていないのに、こんなに人が並ぶんだなぁ、とか思ってしまいました。
余計なお世話でしたね
いうてスシローが目指しているものとかも良くわからずに、やけに上から目線で語ってしまい、ただの余計なお世話でしたね。。
まあコスパとかを批判しておきながら僕もデパートの寿司とか買ったりしますので、そんなに大きなことはいえないというか。
あくまでシステムに感動したために、そのシステムの突き詰めるものを「混雑」が邪魔している気分になってしまったという話でした。
手早く混まないようなシステムなのに、そのシステムでもこなせない混雑になっているのか。
これが「寿司」というブランドなのでしょうかね。