Kの所感

管理人ケンヤの色々なことに関する所感を綴っていくブログです

「小説家になろう」で衝撃を受けた短編

そういえばもう何年も前のことなのですが、「なろう」にてものすごい衝撃をうけた短編を読んだことがありました。

と言っても「すごい名作だ!」とかじゃなくて、「そうか、こういうのを短編としてしまうのか」みたいな驚きでした。

 

はっきり言ってしまうと僕の好みではなかったし、上述の通り面白いという評価を下したものでもないので、なんという作品だったかも思い出せず、もう一度読もうと思っても無理なものです。

ただ単に当時衝撃を受けたな、という話です。

長編の「起」だけな短編

一言で言ってしまうと、長編における起承転結の「起」だけの小説でした。

細かい設定は覚えてませんが、主人公は女子高生一年生で、これから入学式へ向かうとかそういうレベルだったかと思います。

主人公には兄がいてすごい格好が良くて好きだったのですが、血が繋がっているので泣く泣く諦めている、という秘めた思いあり。

学校にいくと兄の親友でありこれもまた格好が良い先輩に出会い楽しく会話をするのですが、その先輩に告白をされます。

今まで考えていなかっただけに混乱してしまいますが、返事は急がなくて良いと言われて帰宅。

そんな主人公に衝撃の「実は兄は父さんの親友の子だった」という事実が告げられ、つまりは兄と恋人になっても問題がないということが発覚し、しかし一旦兄への想いに区切りをつけた上、先輩に告白されてたわけで、「これから一体どうなるの?」

と、言ったところで衝撃の一言が欄外に。

「これで本編は終わりです。評判がよければ番外編を書くかもしれません」

 

え、これってむしろ話を転がす上での設定が紹介されただけじゃないの?と呆気にとられた、というわけです。

 

あ、先に書いておきますが少し前にあった「短編詐欺」とは違いますと思っています。

短編詐欺というのはどうやら長編の第一話だけ書いて「短編」として発表し、評判がよかったものだけを続きを書くというものらしいですが、少なくとも当時はそんな言葉すら無かったので。

まあ真相はわかりませんが、とりあえずここでは違うということで話を進めます。

所謂「日常系」がここまできたのか、という衝撃

で、私がその話にどんな衝撃を受けたのかというと、「日常系の浸食がこんな形になるなんて」でした。

 

さてこういうと「日常系」とは何かという定義論になるかもしれませんが、とりあえず「変わらない日常で、ちょっとしたイベントが起きてキャラがわちゃわちゃ動くのを見る」みたいな系統として進めさせていただきます。

で、その「日常系」をもう少し詳しくいうと「アニメ長編とか、RPGの途中とかで、目的とか忘れてキャラが気を抜いてバカンスみたいに休んでわちゃわちゃしているのが好きなんだ」みたいな好みが先鋭化したものだ、みたいな理解をしています。

僕の好みからすれば、時折そう言ったエピソードが入るのならばともかく、そればっかりになるのは困るなぁというのが正直なところで。

TVが「ひな壇」ばかりになってつまらなくなった、みたいなのと同じ雰囲気を感じています。が、TVのひな壇と違うのは、それを好きな人が結構いて一大ジャンルになってしまったことですかね。

 

で、その短編から受けた衝撃について話を戻しますが、すなわち作者さんからすれば「変わった状況下で恋の板挟みにある状態」を日常とし、その状態でわちゃわちゃしているキャラを描きたかったんだな、という理解をしたためです。

つまり実際に主人公がどういう決着をつけて誰と付き合うのか、というのは目的ではなく、あくまで揺れ動いている状態こそが目的なんだな、と。

だから話を進めてしまう「本編」は書くつもりがなく、「サザエさん時空」の如く時間が止まった番外編の形で、そう言った「状況」にあるキャラをひたすら書くということをしたかったのだなぁ、と。

そう衝撃を受けたわけです。

これが世の流れなのか、、

別にRPGで勇者が大魔王を倒すことだけに邁進して、旅の途中の風光明媚な場所を観光しちゃいけないなんて言いません。

アニメで戦争に明け暮れている途中で、休息や恋愛劇を描いちゃいけえないなんて言いません。

でもそればっかりになるのは「違うのではないか?」というのが私の思いだったわけです。

 

、、、、が、どうやら私は少数派のようで、世の中には結構そうした「スピンオフ」が沢山あります。

魔法少女の先輩が三十路になってダラダラする漫画、嵐を呼ぶ幼稚園児の父親が昼飯を食べる漫画。そうした「このキャラにはこうした面もあるのでは」のようなものですらない、キャラの名前と外見とちょっとした設定だけを流用した全くの別物の漫画だって、沢山あります。

 

「ああ、僕はどうやら少数派なんだな」と思わざるをえないなと思っている次第です。

探せばそれは僕好みのも沢山あるのでしょうが、そうした「日常系」が受け入れられること事態がびっくりというか、そういう人が多くいるのだな、という話でした。

なので「not for me」は大事だなと改めて。

結局は

「なろうの短編」から始まって、日常系の話にまで広げてしまい、ちょっと時系列が怪しい話になってしまいました。

まあ「質が良い、悪い」という衝撃ではなく、「日常系を描くために自分でぶっ込んできたな」という類の衝撃だったので、あまり深くは突っ込まず。