Kの所感

管理人ケンヤの色々なことに関する所感を綴っていくブログです

Twitterの使い方

さてこのブログを書き始めて一週間ちょっと経ったのだが、内容はともかくとして一週間書き続けられていることだけは評価しようと自分で思ってたりはします。

書き溜めとかなしに書きっぱなしですし。

 

で、このブログに連動して新しく作ろうと思っていたTwitterアカウントを作った訳です。

アカウントは KenKisa0153ですが、まあそれ自体はブログ記事の投稿通知だったりとつまりは自分で呟くようのつもりなのですが、もう一つの使い方は興味がある人のアカウントをフォローしてTLを見ることだと思っています。

 

つまりはあまりTwitterでの対話を主にするつもりはないというか、文字数制限があったりしますので、あまり議論に使えるツールではないよなぁと思っています。

ので、とりあえず今日はTwitterについて書こうと思います。

Twitterは基本的に「呟き、呟かれる」ツール

まず当たり前の事ですが、Twitterは呟くためのツールであり、他人の呟きを聞くためのツールだと思っています。

「今やTwitterは〜〜」と語る人も多そうですが、そういう解釈やら進歩進化は置いておいて、まず本来の立ち位置としては間違いないはずです。

というかこれを批判するのは流石に行き過ぎだと思います。

 

で、呟きというのは言ってしまえば「独り言」な訳です。

「あーあ、コーラ飲みたいなー」と呟くのは自由ですし、それを誰かが聞いて「じゃあ買ってきます」「俺も好きです」とか言い出すのも自由ですが、その呟きを誰も聞いていないじゃないかと怒りだすことは現実世界ではあり得ません。

 

なので、Twitterは基本的には誰に話すでも、聞かせるでもなく、一方的につぶやくツールだと認識しています。

だから他人のツイートに対して反応するかどうかもまた自由だと思っています。所詮つぶやきなので。

もちろん聞こえよがしに「あーあー、誰かさんが余計なことをしてくれたおかげで、面倒なことになったなー!!!」と叫ぶ人は現実世界にはいるでしょうが、それを大声でいうこともその大声に対してリアクションを強制するのも、現実世界だろうがTwitter上だろうが、あまり良いマナーとは言えないでしょう。

とは言え「誰にでも呟けるツール」

Twitterは基本的に独り言ツールだとは書きましたが、とは言えその呟きは言わば全世界に対して行われており、望めば誰でも聞くことができますし、聞かせることもできます。

だからこそ企業アカウントをはじめとして、宣伝や通知を行うのは当たり前となっています。

フォロワーが多い=呟きを聞いてくれる人が多い=声に影響力がある、ということになりますから、フォロワーが多い人がもてはやされインフルエンサーなどと呼ばれるのもまた当然ですね。

 

しかしそれは言ってしまえば「声が大きい呟き」に過ぎません。どんなに聞いてくれる人が多かろうと、独り言でしかないという原則は崩れません。

もちろん現実世界のことを持ち出して例えれば「コーラ飲みたいなー」と呟いたら「あ、僕も。一緒に買ってこようか?」みたいに拾われて会話が発生することはありますし、それもまたTwitterの醍醐味の一つと言えるでしょう。

 

で、なぜ私がこんな分かりきっているような事を書いているのかといえば、原則的にと基本的にとか書いてますが独り言ツールのはずなのに、対話ができる部分を拡大解釈しまくって、反応を返さないことを批判したり、議論ツールと勘違いしている人がいることに違和感があるためです。

Twitterでは反応は約束されないし、議論にも向かない

誰かのツイートに引用リツイートで質問を仕掛けたとしても、その反応がないのはむしろ当たり前である、という認識を私はしています。前述の通り独り言ツールなので。

だから「質問したのに答えてくれない」みたい批判はずれていると思いますし、仮に対話をしていても反応がなくなったら「逃げた!」とか勝ち誇るのは一人芝居に過ぎずおかしいと思っています。

 

また文字数制限があるので、議論にも向きません。

一つの意見を表明するまでは良くても、その根拠とかを述べるには心許ない場合が多いですし、意見が1ツイートに収まらなければそのうちの一部を抜き取って批判するような人もいるからです。

単純な賛成反対を述べることはできても、「なぜそう思うのか」といったことに踏み込むことが難しいので、Twitterは議論に向いているとはとても思えません。

Twitter上での議論というのをみたことは当然ありますが、結局は話がまともにやり取りできずに、論点ずらしや自分の意見を述べずに批判を繰り返し、相手にしなくなった時点で勝ち誇るという一人芝居としか思えない行為をしている人も少なくありませんでした。

 

なので何かを通知したり、情報を収集したりといった「情報」のやりとりはできても、「意見」のやりとりには向かないのがTwitterだなと思っています。

私のTwitterの基本的な使い方

なので私はTwitterは基本的には一方的な通知か、他人のツイートを黙って見るだけに使う予定です。

何かしらの反応があっても、リプは時間が空いていればするという程度で、必ず反応するつもりは全くありません。

例えTwitter上で意見をぶつけられても、「まともなやり取りができないツール」という認識なので「そういう考えを持つ人もいるんだな」と思うだけで終わりになると思います。

 

またTwitterには知らない間に勝手なマナーを言ってる人もいるなということは知っています。

例えば「フォローしたらフォローバックしないのは失礼」とか「フォローしていない人(フォロー外)から書く場合は「フォロー外から失礼」と書く」とかです。

こういうのは私には「ビジネス文書の判子を押すときは、目下ものものはお辞儀をするように斜めに傾けて押す」とか「リモート会議でも、目下のものは誰よりも早くログインし、誰よりも遅くログアウトする」のような、所謂「マナークリエイターが作ったマナー」と同列にしか思えなかったりします。

なので一般常識として行うべきマナー(知らない人には敬語を使う、とか)は当然あるべきとは思いますが、なのでこういった「なんか勝手にできてるTwitterマナー」は守る気はあまりないですね。

 

所詮ツールなので私はそういう使い方を選んだ、ということになるかと思います。

とは言え認識とルールの更新はされていくかも

私はこれまで基本的にはROM専でしかTwitterを使ってきませんでした。

このブログを立ち上げるにあたってあらためて作ったアカウントでは、これまでとは違った使い方をすることになると思います。

 なので、もし幸運にも私のブログが飽きずに続けられ軌道にのって、Twitterのフォロワー数が増えたら、もしかしたら他者との交流についてはまた別の意見が生まれるのかもしれません。そうなったらそうなったで、今回書いたようなルールは変わったり更新されていくのかもしれません。

まあ、その軌跡を残しておくのも本ブログを書いている理由の一つなので。