Kの所感

管理人ケンヤの色々なことに関する所感を綴っていくブログです

「ナーロッパ?」

このブログ、とりあえず編集画面で投稿したらそれで終わりにしてたのですが、今日自分でアクセスしてみたらなんと同じ内容が2回投稿されていることに気づき、慌てて重複分を削除しました。

ちょいググると「公開する」ボタンの連打が原因と書いてあるところがあったのですが、それにしては日時や日付すら違う場合があったのですが、なんなのでしょうね。

これでもうちょっと読者がいたりすれば乗っ取りとかも考えるのですが、現状はどこにも動線を引っ張っておらずほぼ自分だけが読者な状態なので、疑うのも恥ずかしいレベル。

まあ何かの操作間違いなのが正解なのでしょうね。。

 

さておいて、ちょっと「小説家になろう」について先日記事を書いたので、また今度は「ナーロッパ」批判があったという話が流れてきたので、それについて書いてみようと思います。

「ナーロッパ」は「小説家になろう」で良く使われている「中世ヨーロッパ」的世界観、らしい?

そもナーロッパってなんぞやというと、小説家になろうに投稿されている転生モノの小説とかの世界観である「中世ヨーロッパ」と言われがちな、貴族があったりしつつも、魔物や魔獣といったモンスター、エルフやドワーフといった亜人がいて、魔法を使える世界観のことだそうです。

魔法についての解釈は結構作品それぞれ違うようですが、どうやら今回問題としている「ナーロッパ」はそこはあくまでファンタジー要素として、それ以外の世界観を抽出して指しているようですね。

まあ実際の「中世ヨーロッパ」なんて誰も意識していないだろうし

まずそもそも「中世ヨーロッパ」のことを良く知らないし、それは僕含め執筆なさっている方の大部分もそうだろうなと思っているので、「こんな世界観は中世ヨーロッパと全然違う!」という批判をされても、「まあそうだろうなあ」という感想しか出てきません。

なのであえていうと、ドラゴンクエストといったゲームやファンタジーもののアニメとかかで見た世界観をなんとか落とし込んで作られているもので、そもそも出発点がヨーロッパでもなんでもない気がしています。

もちろん、元にしたゲームの方はもしかしたら中世ヨーロッパを参考にしている部分があったりするのかもしれませんが、「小説家になろう」で使われている世界観だと全然意識されていないだろうなと思うので、中世ヨーロッパと違う、という批判は的外れだなぁと思っていたりします。

 ダンジョンがあって、そこに潜って宝箱を見つけて持ち帰るのが冒険者の仕事だったりするようで。後ボス部屋なるものがあって、そこではリポップ(再出現)待ちの冒険者のマナーがあったり。

こういう要素を見ると、個人的にはこれ、完全にゲームからの持ち込みだよなぁとしか思えなかったり。

他の世界観を使う方が良い?

まあ小説家になろうで使われている世界観が中世ヨーロッパかどうかは別として、今回話題になっていたのは「中世ヨーロッパ的世界観を、別のものに変えるだけで、他作品との差別化アピールになるのに何故しないのか」といったものでした。

要するに、中国やインドといった全然違う文化圏をベースにした作品にすれば、それだけで面白い作品になるのではないか、という指摘でした。

 

個人的には「差別化にはなるだろうけれど、どちらかといえばマイナス方向だろうな」というのが感想です。

何故ならば、小説家になろうに小説を読みに行っている人が重視するしているポイントがそこではないと思うからです。

私好みのストーリー重視ではなく、キャラ重視の方向性はここでも十分に発揮されていると思うからです。

多少差別化を図るのはキャラが陥っている状況なりであって、そこに落とし込まれたキャラがどのようなリアクションを取るのか、というのを楽しみにしているのではないか、と思うからです。

まあ、だからこそ連載が長く続いて「陥った状況」が落ち着いてしまうと、どの作品もあまり代わり映えがないモノになってしまう気配があるのですが、まあこれは別の話として。

 

で、つまり「中世ヨーロッパかどうか」なんて全く重視されていない要素なわけでして、どちらかというと「ああ良くある世界観ね」みたいに「世界観を理解する労力を省く」という意味合いで使用されているのが「ナーロッパ」ではないかと思ったりするわけです。

なので、そこに個性を入れてしまうと、そこは「ノイズ」になってしまい、小説家になろう的なものを求めている読者にはむしろストレスになるのではないかな、と。

もちろん、筆者がその世界観を是非やりたいをいってやるのはなんの問題もありません。プロでもない人が自分好みに投稿するのですから、そこに文句をつけるのは野暮というものでしょう。

しかし別に作者の好みでもないのに「作品の差別化のため」だけに世界観がイスラムな世界に変わってしまっては、マイナスにしかならないのではないでしょうか。

 

ちょっと前に、ワードで文書を作る際に「どうしてフォントとかサイズを合わせなくちゃいけないんだ」と言っている人に、「それらを統一することで、余計なことに思考を取られず、内容に集中してもらうためだ」という回答を返す、というのがネットに流れていたのを覚えています。

今回の「ナーロッパ」もそれと同じじゃないかな、と。

筆者が「自分はこのキャラ設定をかきたいんだ」と思ってそこに注力しようとしている中で、あえて異なる世界観を持ち込むことはその書きたいこと見せたいことから目を逸らすことにしかならないのではないか、と。

繰り返し言いますが、筆者がやりたいというならば別です。

でも「容易な差別化」としてやるのは、むしろ逆効果だろうな、と思うわけで。

とはいえ個人的には飽きつつあるのも事実

とはいえ、個人的には「ナーロッパ」に飽きてきたのも事実なんですよね。

検索上位に行くということは、結果として「ナーロッパ」を読者が求めている のだろうなとは思うのですが、私はキャラ重視すぎるのは好みじゃないので。

そこをいくとなろうにはそうではない色々な作品もあったりするので見つけることができればそれを読んだりはしているのですが、数が少ない分面白いと言えるものも多くはないというのが実際のところですね。

私の見つけ方を磨くべきか、それならそれで定評のあるラノベを読めば良いのじゃないかという思いもありつつ、いやラノベの時も同じ思考に陥ったよね、みたいなことを思い返してみたり。