Kの所感

管理人ケンヤの色々なことに関する所感を綴っていくブログです

数日書いてみて

ここ数日ブログを書いてみて、毎日書くのは大変だなぁという当たり前の事実に直面してたり。

で、自分の書いたものを見直してみて、どうにも「ですます調」が気になった。

 

僕は普段会話では「ですます調」な訳だが、いざ文にしてみて自分で見直してみると、なんとも言えないモヤモヤ感を抱くことに。

という訳で今回の記事については「ですます調」をやめてみてどうなるかのテストをしてみる。

 

で、ついでだから今日はなんで違和感を覚えたのかについて考えて書いてみる。

他人と話す際に使うのは当然だと思っており、それはリアルだろうがネットだろうが同じだと思っていただけに、自分のブログのですます調に違和感を覚えた自分にこそ違和感があったり。結局どう思って接しているかということなのかもしれない。

敬語は基本では?

当たり前の話だけれども、実際にリアルであう他人に対しては敬語を使うのは当たり前だと思っている。

そりゃ親戚だったり会社の上司部下の関係だったりと、お互いの関係によっては色々と変わってくるものもあるだろうけど、少なくともこれまであまり話したことがない他人と接するのならば、敬語を使うのは基本でしょうと思っている。

ツイッターだとそうでもない人やいきなり命令形や慇懃無礼な人もいるけれど、そういった人たちはもう視界外に置いておこうかな、と思っている派である。

そういったものを「壁がある」と評する人は、他人との関係をうまく測れずに、自分の価値観を一方的に押し付けようとしているだけに思えるので。

そう、結局敬語を「使わなくても良い」ではなく「使うに値しない」とか思われていそうで。

自分に対する違和感?

つまり他人に対して敬語を使うことが当たり前だと思っているならば、このブログが他人に対して書かれているならば敬語で当たり前だ、ということになる。

ああ、そうなると結局まだ僕にとってこのブログは「自分のためのメモ」みたいなものであって、誰かに呼びかけるという位置付けにまだなっていないのかもしれないな、と気がつく。

他人ではなく自分に対して敬語を使っていることに対する違和感だと思うと、しっくり来てしまう。

つまりは僕のこのブログに対する姿勢の問題な気がしてきた。

もしくは「いかがでしたか」系に見えてる?

もう一個の可能性として、所謂「いかがでしたか?」系のブログっぽく思えてしまっているのかなと気づいてしまった。

僕のブログはタイトル通り、僕の所感を綴るものであるのだから、必然的に誰かに向けて有用な知識を広めるためのものではない。

そして僕が知る限り「いかがでしたか?」系のブログというのは、大した労力もかけずにネットで簡単に調べられることだけをいかにも役立つ知識であるかの如く紹介するものだ。

つまり「他者に対してあまり有用な知識情報がない」かつ「ですます調」というのが共通してしまっている訳で。

ああこれはいかんと思ってしまう程度には、そういった「いかがでしたか」系ブログは好きくないのだよな。。

ブログに対する姿勢を再検討

今回はここ数日間のブログ内容を見ての所感を垂れ流して描いて見た訳だが、こういう姿勢がダメなのかもな、という結論になった気がする。

自分に伝えるべき特殊知識があるという位置付けのブログではないにせよ、少なくとも自分で自分のブログに違和感を持たない程度にはしなくちゃならんなと痛感した。。。。

所感、感想を載せるのが主のつもりのブログだったから、アマゾンのリンクとかの貼り方をサッサか暇を見つけて覚えて、そっちの方にシフトする方が賢明か?